母親の私もどうにもならないンです。

子どもをしっかりと見て援助していきましょう。

母さんに会う前に生徒たちを見ていてこの生徒

「そんなふうに考えたことはありません。白川英樹さんがノーベル化学賞を受賞したことでそういえると思います。ただ、教育については問題があります。会社に入ってみればわかることですが、独創的、創造的な仕事をするには、成績がよくて、いい大学を出たというだけではだめなんです。文科系や理科系という分け方も古い発想です。日本の文部省の画一的な教育では、個性を発揮することは難しいでしょう。小さな子どものころから、自分で考えること、創造性を生む仕組みが大切だと思います」平成13年1月13日付、朝日新聞と、個性を発揮する教育の重要性を述べていますまた、文部省告示章総則に平成10年12月の学習指導要領平成14年4月1日施行を読んでみると、第一して、個性を育成する学校教育の方針が出ています。
社会も個性を求めていますし、学校も個性を育成する方針です。社会も学校も一致した方向です。では、家庭ではどうでしょうか。
個性を育てるというと、子どもを束縛せず、やりたいように自由にさせる型にはめず、野生児のように育てることと考えている人が少なからずいるようです。
子どもとの関係においてとても重要な期間なのです。

子どもが大きくなればなるほど

現に、しつけがなおざりにされてきたのは、個性の重要性がいわれ始めたころと重なっています。
わがままに育てられたり、なんのしつけも受けずに育った子どもは、人の迷惑を考えることができません。人とのかかわりが持てないため、個性が育つより孤性が育ってしまいます。ですから、独創性や創造性などを発揮するところまで成長できません。その子どもに内なる力がひそんでいても、宝の持ち腐れとなる可能性が強いのです最近の少年犯罪を見ていると、少年がその力を別の方向に向けていたら……と残念でなりません。
しかしたら、何かすばらしい仕事ができたかもしれないのです。
も人間として生きる基本的なことをしっかりと子どもにしつける。

 

子どもと行くと疲れると言う

経験があります。ながりますこのことが個性を伸ばすことにもつ
子どもは
社会全体の宝物です「自分の子どもは自分のものではない。
社会からの預かりものだから心を込めて育て、社会に返すこと」
こんな言葉をどこかで読みました。まさにそのとおりだと思います。多くの親は子どもは自分のものだと考えています。だからどんなふうに育てようと自分の勝手。しつけという名のもとに行われる児童虐待や幼児殺しなども、こうした親の思い違いから起きているのではないでしょうか。
子どもとの関係においてとても重要な期間なのです。

子ども自身の中子どもは社会からの預かりものと考えたら、自分勝手に育てることなどできるはずがありません。
社会に返すためには、子どもを元気に健康に育てなくてはならないからです。健康というのは、単に体が病んでいないというだけではありません。行動がきちんとしていて、社会規範を守れるという意味も含まれています子どもが大人になったとき、社会のために働くことができ、人の迷惑にならない人間に育てるためには何が必要でしょうか。勉強も必要です。人とのかかわりも必要です。そしてしつけも必要です。子どもを自立できる人間に育てることが親の役割なのです。
子どもは親の私物ではありません。子どもは社会全体の宝物です。言い方をかえれば、しつけは親だけがすればいいというものでもありません。親が中心となって、社会全体でしていかなくてはならないのです
しつけは明るい家庭で
ゆとりを持ってしつけが厳しい家というと、どんな家庭をイメージしますか?

母さんがこれなのですから困ったものです。


きっと、い声もなく、音を立てると叱られるような暗い家庭ではないでしょうか。
家じゅうがシーンとして笑イメージしたような暗い家では、子どもは伸び伸びと育たないだろうことは想像できますが、が厳しい家というと、どうしてもこのような暗い家庭を思い浮かべてしまうのです「しつけしつけは明るい家庭ではできないのでしょうか?いいえ、その反対です。
塩月弥栄子さんの心づかい心くばり文化出版局刊という本を読んでみると、しつけがあるからこそ、楽しい家庭が築けるのだということがよくわかります。
母親の養育態度との間には関連がある

子どもにはわかりやすいでしょう。

両親に示すだけでは意味がないのです。塩月弥栄子さんは裏千家先代の家元、淡々斎の娘さんですが、著書の中で、家の格式の窮屈さを、まったく感じさせずに育ててくれた」と書いています。

茶の湯の家元という古い一部引用させていただきます。
「女の子はどこへ嫁にいくかわからないから、あらゆることを知っておけ」というのが父の口ぐせで、父の好きな馬術を私にさせたり、ダンス場、アイス·スケート場、ラグビーの試合まで、両親が子どもといっしょに出かけて、楽しませてくれました。……ときにはラブレタ-の返事を母にたのむほど、親子の間はあけっぴろげだったのです。
また、次のようにも書いています。
しかし、たんに放任主義というものではなかったことは、しつけのきびしさでもわかります。